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2000.11.08

幻の七十万年

今日は珍しく時事ネタで行く。タイトルを見て判った人もいると思うが、なんかやたらと大きく報道 されている例の旧石器時代発掘捏造事件だ。
TVは相変わらずワイドショー的視点でしかこの事件を報道していないようだが、一時期考古学に興味を持ち、考古学者になりたいと思ったこともある素人としての立場から言わせて貰えば、なんか観点がずれている、というより逆さまじゃないか?と思えてならない。素人考えであるが、考古学というのは発掘された遺跡を研究する学問であって、遺跡を発掘する学問ではないはずである。遺跡を発掘するのは、手段であって目的ではない。そこのところがどうも手段と目的が逆になっているような気がするのだ。
遺跡を掘った→石器が出た→調べてみたら七十万年前のものだった→大発見だ、という経路を辿るはずのものが、遺跡を掘った→石器が出た→大発見だ、という具合に短絡してしまっているような印象を受ける。一番肝心なはずの「調べる」という過程がないがしろにされているではないか?。これでは金鉱を探しているのとか、石油を探しているのと大差ない。いや、金鉱にしろ石油にしろ、出たらOKというものではなくて、採算が取れるか?という調査があるはずだから、それより始末が悪いかも知れない。
大体考古学と言うのは、地味な学問のはずである。日本中に何人くらい考古学者がいるか知らないが、そのうちの大半の人はニュースになるような発見なんかには巡り会わずに終わるのではないかと想像される。暑かろうが、寒かろうが、一年中ひたすら発掘し、神経痛を患い、発掘した遺跡の報告書作成やら役所(または大学)の予算どりに追われて過ごしている、そういう人がほとんどではあるまいか。
私も、大学時代に遺跡発掘のアルバイトをしたことがある。結構しんどい作業であるが、遺物が出た時の興奮と感動は素晴らしいものだ。それはそうなのだが、やはりそれはオマケ的なものであって、学問としては、発掘した結果の報告書を作ったり、図面を引いたり、年代測定したり、土器を復元したり、と言った地道な作業があってこそ成り立つものだと思う(まあ、派手な発見をすれば予算が付きやすくなるとか、プラスの面はあるだろうが)。そういう意味では、あの藤村という人は「発掘者」ではあっても「研究者」ではなかった、ということだろう。
捏造した本人が社会的地位を失うのは当然のことであるが、ここまで騒ぎが大きくなった以上、真面目に研究している多くの研究者にも影響が及ぶだろう。そういう人には本当に気の毒なことだと思う。それに比べると、「原人で町興し」を目論んで「原人まんじゅう」だの「原人せんべい」だの売り出し、「原人マラソン大会」まで企画して、いまさら止められなくなっているナントカ町の人たちに対しては、申し訳ないが同情する気にはなれない。捏造じゃなくて本物だったにしろ、どうせ1年も経たない内に忘れられるに決まっているんだから、傷が深くなる前に止められてむしろ良かったんじゃないの?マラソン大会も、どうせなら「原人、はナシよ、マラソン大会」とか名前を変えてやればいい。なんなら、あらかじめゴール地点にランナーを仕込んどくとかね(笑)。そこまでやるなら、応援してもいいんだが。

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