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April 2001

2001.04.30

体調不良

世間はゴールデーンウィークである。いや、別に世間様に限った話でなくて私自身もゴールデンウィークなのだが、どうも今週はずっと体調が悪い。金曜日にはそれが頂点(というか表現的には谷間と言うべきだな)に達していて、おまけにGW中に会社のフロア引越があるとかで机の中身を荷造りしたりして体力を消費したりしたもので、退社する頃には倒れる寸前(かなり誇張表現)だった(それでもレコ屋にはしっかり寄り道して帰ったけどね(^^;)。
そんな訳で昨日はGW第一日目だったが、とりあえず体調回復が先ぢゃということで一日睡眠。して今日は体調も万全!の筈だったのだがどうも20%くらいしか回復してなさそう(当社比)。おまけに今日は仕事の可能性があってしかも仕事する羽目になるかどうかは電話が来るまで判らないというサイテーな状況で、昨日たっぷり寝たおかげで早い目に起きたのだが、何もする気が出ないまま電話を待っていたような状況であった。
結局電話が来たのは10時過ぎで、幸いというか奇跡的にも仕事は免れたのだが、そうなるとより一層気力がなくなるというか緊張の糸が切れたという奴で再びベッドに潜り込んで寝る始末。目が覚めたのはそろそろ暗くなりかける時分。う〜む、結局GWの二日間を寝て過ごしてしまった。まあ、とりあえず体調は回復したようなので明日から活動するぞ。

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2001.04.27

機械教授

相変わらず地元のブック・オフに定期的に通っています(2001年1月14日の項参照)。このところ今一ついいものがなくて、何も買わずに帰ることが多かったのですが、先日久しぶりに堀り出し物が。ニール・R・ジョーンズの『惑星ゾルの王女』と『双子惑星恐怖の遠心宇宙船』という二冊。「ジェイムスン教授シリーズ」というシリーズものの3巻と4巻です。
このシリーズを知ったのは、はるか昔(20年以上前(^^;)野田昌宏元帥のスペースオペラ解説本(タイトル忘れた)でです。その時に面白そうと思って探したのですが、既に絶版で手に入りませんでした。それから20数年探しつづけてようやく…というのは嘘で(^^;、そんなシリーズがあったことさえ忘れてました。実物を見ても、作者名とタイトル名では思い出せず。それでもなんとなく気になって(というか無意識の内に思い出しかけていたのかも知れないが)手にとって見て表紙のイラストを見た途端、20数年の年月を飛び越えて一挙に記憶が…。やっぱりビジュアルな記憶は強いなあ。ちなみにイラストはあの藤子不二雄が手がけています。
で、ノスタルジーを感じながら(初めて読むのにノスタルジーつうのも変な話だが)、早速読んでみたのですがなかなか面白いです。話自身はごく普通のスペースオペラです。戦前から戦後にかけて書かれたものなので、今となっては古臭い部分も多分にあるし、同じスペースオペラでも「レンズマン」シリーズのような壮大な構想とかはありませんが(変な生物と言うかモンスターの類は大量に出てくるので、傾向としてはむしろ、A.K.バーンズの「惑星ハンター」あたりに近い)。
この手の話しは素直に面白がっていれば良いと思うので、何が面白いのか分析するような野暮な真似は止めておきますが、一応、どんな話なのか、あらすじと言うか設定を説明しておくと…。

科学者であるジェイムスン教授は、死後の遺体を永久に保存するための研究を行っていた。やがていい方法を思い付いた教授は、自分自身の死後に、甥に指示してその方法を実行させた。それは遺体をロケットに乗せて地球の周回軌道を回らせるというものであった。かくて教授の遺体を乗せたロケットが打ち上げられ、無事地球の周回軌道を回り始める。
それから4千万年!が経ち、地球上では既に人類も滅び去り、ただジェイムスン教授の遺体を乗せたロケットだけが、虚しく地球を巡っていた。そこへやってきたのが、脳以外の体を機械に置き換えることによって不死を獲得したゾル人の探険隊。彼らはジェイムスン教授の遺体を乗せたロケットを発見すると早速教授の遺体に機械化手術を施こして蘇生させる。かくして機械化ゾル人の慣例に従い、21MM−392と番号で呼ばれるようになったジェイムスン教授は仲間となったゾル人と共に探険の旅に出かけ、様々な発見や苦難に出会うのであった…。

といった感じです。主人公であるジェイムスン教授が機械の体を持つというのが、他の作品との差別化でしょうか?この機械の体というのがまた、真四角な胴体に4本の足と6本の触手(前面・後面に2本づつ、側面に1本づつ)を生やし、胴体の上には脳が収められている円錐形の頭があり、その頭には360度周囲を見るための10個の眼と上方を見るための頭頂部の眼が付いているというかなりユニークなスタイルで、どう考えても格好良いとは呼び難いこのスタイルの教授が大活躍するあたりが、他のスペースオペラとはかなり違う味を出しているところです。
3巻と4巻だけという中途半端な入手しかできなかったので、なんとか1巻と2巻も入手したいと思い、この手のものに強そうな梅田古書倶楽部へ行ってみたのですが置いてありませんでした(T_T)。どっかに転がってないかなあ…。

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2001.04.23

増設

しばらく前から計画していたHD増設をようやく実施。HDは昨日某店で購入したIBM製の40G。バルク品ではなく内蔵用としてパッケージして売ってる奴なので、多少高かったがそれしか置いてなかったし。1年間保証もついてたので。
増設作業そのものは特に問題もなく終了。パーティションをどう切るか迷ったが、結局次のようにした。
1.OS X用(10G)
2.現状HDのバックアップ用(10G)
3.CD−R書き込み用ボリューム(700M)
4.未使用1(ひょっとするとWINDOWSのエミュレータ入れるかも)(5G)
5.未使用2(残り)
おかげでデスクトップ上がHDのアイコンだらけに(やや誇張表現あり)。しかし、今のマシン買う前に使っていた2Gの外付けHDもやっぱり4つぐらいにパーティション切って使っていたんだが、つまり1パーティションの単位が500M→10Gと20倍になっているちゅうことか、まだたかだか3年くらいしか経ってないんだけど…。
さて、OS X導入の準備は着々と整いつつある…。OS X用のATOKも無事出たし。後は今使っているトラックボールのOS X用ドライバ待ち。
しかし考えてみるとこれで合計50GになったHDの内、まだ4Gも使ってないんだよなあ。なんちゅう贅沢な話じゃ(^^;。

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2001.04.20

総天然色

今日は夢の話。夢の話と言っても、比喩的な意味の夢ではなく夜見る夢の方。更に、夢の内容についてではなく、色付きの夢を見るかどうかという話しだ。どうも、世間一般では夢というのは基本的に白黒で、色付きの夢というのは例外的な存在である、というのが通念になっているらしいが、にわかに信じがたい。私自身は、白黒の夢なんて見たことがないからだ。
「見る夢はすべてオールカラーの」と言えば、某漫画雑誌での荒木飛呂彦先生の枕詞だったと思うが、そういう感じなのだ。その色もごく自然な感じで、部分的に色が付いているようなことはない。まあ、1677万色とまではいかないかも知れないが、3万2千色くらいは十分ありそうである(^^;。
うーん、世間の人は本当に白黒の夢しか見てないのか?本当のところはどうなんだろう?CGIが書けたら、ここで「貴方の夢は色付き?」のアンケートページでも作るところだが(゚゜)バキ☆\(--)。
考え出すとどうにも気になったので、インターネットで検索をかけてあちこち見て回ったのだが、結局は人によってバラバラだと言うことが判っただけだった。色付きの夢しか見ない人、白黒の夢しか見ない人、どっちも見る人、全て存在しているようである。全体的な傾向としては、若い世代の方が、色付きの夢を見る比率は高いらしい。あるアンケートによれば、若い女性の場合70%弱が色付きの夢を見るのに対し、その父親世代では約30%だと言う。どんな条件で取られたアンケートなのか書いてなかったから、どこまで信用していいものか判らんが。
結局の所、色彩や映像に対する感覚が鋭い人は、色付きの夢を見る比率が高いらしい。じゃあ、そういうあんたはどうなんや?と言われると、確かに色彩に対する感覚は鋭い方かもと思う(色彩に対するセンス、とはまた別ですが)。
子供の頃から、絵を描くのは好きな方だったが、とりわけ、パレットの上で色んな絵具を混ぜて新しい色を作る作業が好きだった。もっとも、そうやっていつまでも色んな色を混ぜているものだから、必然的にだんだん暗い色調の色になってきて、その色で絵を描くものだから、絵まで暗い絵になってしまう。しばしば「実年齢に比べて年寄くさい絵を描く」と評されることがあったのも止むを得ない(^^;。
あと、絵具の消費量が異様に多いとか、パレット上がすぐ混ぜた絵具でいっぱいになって空きスペースがなくなるとかいう弊害はあったものの、そういう「パレットに向かってなにか熱心にやっている」態度が「絵を描くことに熱心な児童」と勘違いされたらしく、何度か美術展みたいなのに出して貰って、賞状を貰った。たいがいは佳作どまりだったけど。

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2001.04.19

文章とは難しき物也

土曜、月曜と「ですます調」で書いてみたのだが、昨日の分ではまた「だである調」に戻してしまった。内容が「ですます調」にそぐわなかった、と言えばそうなんだが、それよりは単にそういう気分でなかったから(゚゜)バキ☆\(--)。
私だけに限った話ではないだろうが、どうも「だである調」だとやたらと偉そうな文章になってしまうし、かいって「ですます調」だと馬鹿丁寧というか、嫌みっぽい感じになってしまう。このコーナーを書く時のスタンス(というような大層なものではないが)としては「だである調」と「ですます調」の中間くらいがぴったりくる感じなのだが、そういう感じを出すのは難しい。両方併用の文章という手もあるが、なかなかうまく書くのが難しそうだ。
HPを立ち上げて、そろそろ9ヶ月。長いのから短いのまでそれなりに色んな文章を書いて来たが、やっぱり難しい。私の場合、最大の弱点は自分の文章というものが確立されていないところで(もっとも他人が見たらまた意見も違うかも知れないが)、つい他人の文章の真似になってしまうことが多い。別に意識して真似している訳ではないのだが、文章を書いている途中で「あ、この言い回しは誰それの真似だ」とか「この書き出しは誰それがやりそうだなあ」と思うことはしばしばある。その都度、手直しするようにはしているのだが、当然気付かずにそのままになってしまうこともある訳で、アップした後で読みなおして「うわあ」と思うこともしばしば(^^;。
そういう風につい他人の文章を真似してしまうというのは、結局は自分のスタイルじゃない文章を書こうとしているからなんだと思うのだが、じゃあ自分のスタイルってどんな?と言われると、それが見えてないんだよなあ。う〜ん、結局堂々巡りだ(^^;。

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2001.04.18

随筆とは難しき物也

書店で、丸谷才一の新刊(って言っても文庫の新刊ですが)が出ているのを見て、一瞬買おうかと考えたが止めてしまった。丸谷才一、昔は好きだったんだけど、ある時点からどうにも受け付けなくなってしまっている。これは私の変な癖で、小説だとそんな事はないのに、随筆やエッセイの類で、筆者の考え方やものの言い方に違和感を覚えると、どうにもその人の作品を読む気が薄れてしまうのだ。
まあ、それだけなら一般的な事だろうが、最初の内そんな違和感なぞ全然感じずに、ひたすら面白く読んでいたのに、ある時を境に急に違和感を感じ始めるのが妙なところだ。
これは丸谷才一だけの話ではなく、他にも、例えば林望なんかもそのパターンだった。読み始めの3、4冊くらいはひたすら楽しめていたのが、どの本からかははっきり憶えていないが、違和感を感じ始め、集中できなくなってしまった。最後に読んだ本では、とうとう途中で挫折してしまったくらいである。
多分、読んでいる私の方に(殆どは)責任があると思うのだが、ひょっとすると、作品そのものの質も微妙に変化しているのではないかと思うところがない訳ではない。質と言うか、読者に対する姿勢みたいなものですね。随筆であるからには、言ってみれば自分の思ったことを好き勝手に書けばいい訳だが、そうは言っても、それが不特定多数の読者が読むものである以上、自分の書いていることを客観的に見て手直しする行為というか、書く内容にある種のフィルターをかける作業というか、そういうものが発生するのが普通だと思う。文筆業を長く続けている内、そういうフィルターをかけるような行為がだんだんおろそかになってきて(もちろんフィルターをかける行為そのものが無意識に近いものだと思うから、意識してではないだろうが)、裸のというか、素の筆者の姿がそのまま現われるようになってくるのではないか、などと考えたりもする。読む側に都合のいい考え方ではあるが。
実際にはもっと単純で、最初の内よく判らなかった筆者の考え方や人柄が、だんだん判るようになってくる、というだけの事だと思うのだが(「人柄」なんて書いてしまったが、私自身の考え方と合わないという意味合いで、「人柄が悪い」という意味ではありません)。
こういう「途中で嫌になる」現象が起こらずに、安心して、気を許して読める随筆家というのは、なかなかいない。古い所だと、内田百間ぐらいだろうか。そう言えば、丸谷才一にしろ、林望にしろ、内田百間の流れを汲む随筆家だが(と勝手に思っている)。百鬼園先生はその二人とはレベルの違う個性的な人物(だったらしい)が、それでも読んでいて違和感を感じたようなことはない。この辺がやはり随筆家としてもレベルが違うということだろうか(まあ、リアルタイムかどうかの差もあるとは思うが)。
では今活躍している人では?となると、う〜ん、村上春樹ぐらいだろうか。村上春樹は、小説の方はずいぶん長いことご無沙汰しているが(「ねじまき鳥」あたりから読んでない)、時たま発表される随筆の方はコンスタントに読んでいる。この人も、考え方という点では結構変わった人であるが(どちらかと言うと、「良識的」過ぎて変わっているように思える方だけど)、なぜか違和感を感じる事はないのである。「ふ〜ん」とか「なるほど」とか思って許せてしまう感じなのだ。この辺はそれこそ「人柄」によるものなのか、「まあ、小説家だから」、ということで無意識の内に許容してしまっているのか、自分でもよく判らない。何にしても、そういう安心できる随筆家がいるというのは、ありがたいことだ。
(なんか、かっこ注釈の多い文だったなあ。と最後にまたかっこで締めるのであった(^^;)。

※内田百間の「間」は本当は「門」(もんがまえ)に「月」の字なのだが、JISの漢字表に入って  いない。

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2001.04.17

セイコちゃん

セイコちゃんと言っても、松田聖子や橋本聖子ではなく、ましてや野田聖子なんかではなく、大田垣晴子さんのことです。日曜日に新刊の「ふつうのファッション」を買いました。出た当座、本屋で見かけて「買わなくては」と思いながら、カバンが一杯だったかなにかの理由で見送って、そのまま忘れていたのですが、日曜日の朝日新聞の書評欄に顔写真付きで取り上げられていたのを見て思い出しました。
大田垣晴子さんについてご存じない方のために書いておくと、漫画家/イラストレーターの人です。漫画と言っても、ストーリーのある漫画ではなくて、身辺のいろんな事を、説明文入りのイラストに近いような絵で描くという作風です(レコードコレターズ誌にもイラストを描いておられます)。
この本ですが、版型がちょっと変わっていて、マンガ雑誌とかとほぼ同じサイズながら、縦と横が逆転している横長の本となっています。多分雑誌掲載時のスペースを、そのまま本にしたらこういう形になったのだと思うのですが、かなり細かく書き込まれているので、これでもちょっと読みづらい。もう少し大きい版型でも良かったと思うのですが、それだと横のサイズが大きすぎて扱いずらいかも知れない、かと言って縦横逆転させても読みづらそうだし…。
版型の話はこれぐらいにして、中身の方ですが、タイトル通り、いろんな場におけるファッションの傾向について描かれたものです。具体的には、銭湯とか、渋谷の街とか、ファミコンショップとか、場所を決めてそこに集まる(または通り過ぎる)人がどんなファッションをしてるかを観察・分類してます。もっと具体的に書くと、最初の話は「銭湯でみる女性の下着」というテーマで、まず女性を年齢によっていくつかのグループに分け、そのグループのなかでどんな下着を身に付けているかのパターンを形の絵付きで描いてます(モノクロなので色については注記だけ)。後書きでも触れられていますが、「現代版考現学」という所でしょうか(「考現学」という言葉が、そもそも考古学の反語で現代を考える学問というような意味だから、「現代版考現学」というのは、「熱い熱湯」みたいな言葉ですが)。
観察の仕方と分類の仕方が、かなり細かいのですが、銭湯とか本屋とか、ある程度の時間人が滞在する場所の場合はまだいいけど、街を通り過ぎていく人を観察するような場合はかなり時間が限られる訳で、短い時間でよくまあ、そこまで観察して後から絵にできるものだなあ、とちょっと感心しました。そのかわりと言うか、観察と分類について細かいのだけど、分類した結果についての分析については、二言三言感想が述べられているくらいで、あっさりしてます。この辺は読者がパターン分けされた絵を見ながらご自由に考えてください、ということなのでしょう。
一気に読み通す、というタイプの本ではありませんが、手近に置いといて、なんとなく取り上げて眺めるには楽しい本です。

大田垣晴子さんの本は、好きで結構買っています。内容としては、今回のように毎回何かテーマを決めてそれについて観察/調べた結果をまとめる、というスタイルが多いようです(まあ、雑誌とかに連載するには、そういうスタイルが都合がいいのでしょうが)。基本的に「観察する」ことが好きな人なんだろうな、と思うのですが、この人の観察するスタイルというかスタンスには結構好感が持てます。対象となる物(人)とは距離を置いた感じなのですが、かと言って突き放しているという訳ではありません。対象物にのめり込んで、という熱いドキュメントではありませんが、でもクールという程でもない。距離的には、付かず離れず。温度的には熱過ぎず、冷た過ぎず、人肌感覚とでも言うのでしょうか。私自身は、好きか嫌いか、極端に走りやすいタイプなので、こういう自分にない感覚を面白く感じるのかも知れません。

※大田垣晴子「ふつうのファッション」(メディアファクトリー \1000 ISBN4-8401-0237-6)

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2001.04.15

久々の京都

最近、更新が週イチペースになってるなあ。これではいかん。
さて、今日は久しぶりに京都へ行ってきました。どのくらい久しぶりかと言うと、この前行ったのが………。と思い出せないくらいに久しぶりです(^^;。当然阪急の京都行き特急に乗るのも久しぶり。何時からか、停車する駅が随分増えてるなあ。昔は十三を出ると、大宮まで止まらんかったもんじゃが(何時の話じゃ(^^;)。と思ったら、逆に大宮の駅は止まらんじゃと?世の中移り変わりが激しいのお。
前置きが長くなりましたが、今回の京都行きの目的は京都文化博物館で開催されている月岡芳年展です。しばらく前から見に行こうと思っている内、ふと気が付けばもうこの土日でお終い。と言うことで慌てて行って来ました。
月岡芳年は、江戸末期から明治にかけて活躍した浮世絵師です。妖怪や幽霊を題材にした、いわゆる怪奇絵の作者としてその名前を覚えていたのですが、実際には武者絵、歌舞伎絵、美人画などいろんな分野で活躍していたらしいです。で、見てみた感想なのですが、想像以上に面白かったです。彼の絵は、大胆な構図と、精細な描線、独特の色づかいなど特徴が多く、かなり派手な絵なので誰が見ても楽しめると思いますが、今回実物の絵で細かいところまで観察できて気がついたのは、着物の柄の凝りよう。いろんな紋様やパターンが執拗なまでに描きこまれている樣はちょっと神経症的と言ってもいいくらいです。なかには地獄の鬼の衣装に牡丹の花の柄を描きこむなど、ミスマッチというか意外な組合せも。
年譜を読むと、実際に神経症を患ったこともあるようで、かなりエキセントリックな絵もあります。特に武者絵については血まみれの構図のものが多いのですが、血糊の部分にはニカワを塗って光沢を出すという凝りよう。実物を見てみると確かに血の描写はリアルです。一瞬本物の血?とか思ったくらい。
懐かしい発見もありました。「芳流閣両雄動」という、南総里見八犬伝から題材を取った絵がありましたが、どこかで見た記憶があると思ったら子供の頃愛読していた子供向けの八犬伝の本の口絵に使われていたのでした。そうか、芳年の絵だったのか。
そんなこんなで、1時間くらいあれば見れるかと思っていたのが、見終わってみればほぼ2時間経ってました(まあ、作品点数も多かったのだが)。第2部として京都の音盤屋巡りも予定していたのだけれど、そっちは全部廻れないことに。
ちなみに、京都文化博物館は今回初めて行きましたが、隣接する別館はもと日本銀行京都支店だった建物で、煉瓦造りの見事なものです。大した展示品は置いてませんが、建物自体が展示品みたいなものだから、この機会に中を見学しておきました。

さて、第2部の音盤屋巡りですが、以前知り合いが「京都の音盤屋は偏っている店が多い上、あっちこっちに散らばっているので巡回するのが大変」みたいなことを言ってました。偏っているのは構わないのだけれど(^^;、散らばっているのは確かに大変。今回一番行きたかったパララックスレコードという店は特に中心部から外れたところにあります。おまけに「どう考えてもこんなところに音盤屋はねえだろ」という立地。通りから見えない場所にあるのでもう少しで通り過ぎてしまうところでした。まあ、幸い2枚ばかり収穫があったので無駄足にならないで良かった。
結局そこへ行っただけで結構遅くなってしまい、おまけに店を出ると雨まで降っていたので、音盤屋が集中している河原町界隈はまた次回に持ち越しということに。
※別に理由はないのですが、今回はですます調で書いてみました。次回からはどうなるか判らんが。

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2001.04.10

夢のサイン会

このところ、ライヴとか全然行ってなかったので、イベントらしいイベントもなかったのだが、昨日は久しぶりのイベントがあった。なんばの某書店にて諸星大二郎&星野之宣という超豪華なサイン会が開催されていたのである。二人とも個人的に大好きな漫画家である。と言うかどんな漫画家が好き?と聞かれたら他をさておいてその二人の名前が出てくるくらいである。その二人が机を並べてサイン会をしようというのだからこれはもう大変な事ですよ!言ってみれば盆と正月が一度に来たというか、ゴジラとガメラが同時に襲ってきたというか、なんならおまけで大魔神とガッパとギララもつけちゃえ!というくらいの出来事である。
そんなであるから、当然これは万難を排してでも行かねばならぬ。ということで整理券配布開始日(また間の悪いことに平日であった)には会社帰りになんばまで全力疾走したり(大嘘)、カレンダーに印を付けて指折り数えて待ったり(やや嘘)していたのであるが、昨日ついにそのサイン会の日がやって来た。
遠足の日の小学生のように朝5時に目が覚める、という事はなかったが、それなりの時間に目を覚まし、現地へ着いたのは開始時刻である1時の40分くらい前であった。既に長蛇の列が…というようなことは全然なく、見るからにそれっぽい3、4人が店の前でたむろしているくらいである。知り合いも一人来る予定だったので、その知り合いに現地の状況をメールしておき、店の前で待っていても仕方無いし、暑かったので近所の喫茶店へ避難してお茶していると、知り合いから返事が帰ってきた。「1時半か2時に到着予定」とのこと。まあ、確かに早く行っても長時間並ばされるだけだし、それぐらいの時間に行こうか、とも思ったのだが、開始時間が迫ってくると待っていられなくなり(^^;、結局1時過ぎに再び店の前へ。
既に20人くらいの列が出来ていたのでその後ろへ並ぶ。しばらく待っていると、店員が出てきて、各人整理券の裏に名前を書くように指示される。どうやら名前入りでサインしてくれるらしい(^o^)。開始予定から10分くらい遅れて、第一陣が店の中へ誘導される。それから10分くらいして第二陣。惜しいところで第二陣に漏れてしまったので、結局さらに10分くらい待って第三陣でようやく店内へ。サイン用の机は店の一番奥の隅に置かれていて、そこまで人の列がUの字型に待っている状態。もともと結構狭い店で、普段でさえでっかいカバンとか持っている奴がいると通路をすり抜けるのに苦労するくらいだから、店の奥1/3くらいは完全に死んでいる状態。
そのまま待つこと更に20分くらいで、ようやく順番が回ってきた。まずは星野さん。なんかヒゲ生やしていてかなり怖そうな印象。そのせいか、みんなあまり話しかけたりせず、黙々とサインしてもらっている状態。私もサインしてもらっている最中は話しかけられず。最後に「面白い作品を期待しています」とだけ。
次に諸星さん。まだ1時間も経ってないのだが、なにせひたすらサインに集中しているので、かなり疲れておられるようだ。そんなこんなで話しかけられず、これまた最後に一言だけ。
サインは持っていった自選短編集2巻それぞれと、更に小さな絵入りの色紙の三つ。う〜む、一人三つもサインしてれば疲れるわなあ。色紙は、何種類か絵柄があって、星野さんのは好きなのを選べたので、好きな作品の一つ、「月夢」のかぐや姫のものを選んだ。諸星さんのは積み重ねてあるところから順番に取ってサインされるので、何が出てくるか判らない。最近の「妖怪ハンターシリーズ」に出てくる渚という女の子のが当たった。割と好きなキャラだけど、出来れば稗田礼次郎か紙魚子さんが良かったなあ。
という訳で無事終了!知り合いは結局ほぼ終わりかけのタイミングでやってきて殆ど並ばずにサインしてもらっていた。しかも色紙は見事に紙魚子さん柄のを引き当てていた!ちょっとうらやましいぞ。
その後は知り合いと喫茶店で休憩後、二人ともでかい本を4冊もカバンに入れているので「重い〜」を連発しながら音盤屋関係を巡りつつ、日本橋を南下する。が、さすがに体力の消耗が激しく(ちなみに測ってみると、4冊で4キロあった!)、新世界まで来てお目当ての中古ビデオ屋が跡形もなく撤去されているのを発見して残りHPが1桁状態に陥ってしまったので、おとなしく梅田まで帰って解散したのであった。

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2001.04.03

43の音

あいかわらず、ネット接続時間はそれなりに多いのだが、このところ、見に行くサイトが固定されてきてインターネット始めた頃みたいに、あっちのサイトからこっちのサイトへ渡り歩く、いわゆる「ネットサーフィン」(死語?)行為は殆どしていなかったのだが、この前久しぶりにネットを彷徨っていると偶然発見したのが、SYZYGYS(シジジーズ)というグループの公式サイト。
今から5,6年前に活動していたグループで、冷水ひとみさん(or)と西田ひろみさん(vo)という二人組である(ちなみに「冷水」は「しみず」と読むらしい。本名か芸名かは知らないが、珍しい名字である。俳優で温水洋一という人もいるが、この人は何と読むのか知らない)。どういうジャンルに入れてよいのか、分類に迷う類の音なのだが、最大の特長は冷水ひとみさんの弾く43DPOオルガン。
これは、ハリー・パーチという人の43音階理論に基づいて作られたものらしい。音楽の理論の方はさっぱり判らないのだが、1オクターブを43に分割するという考え方のようである。無論、そんな酔狂な楽器を作るメーカーがあるはずもないので、手作りされたらしい。
彼女らのアルバムは2枚出ていて、1stの方だけ持っているのだが、その43DPOオルガンの音はと言うと…、なんかアバウトな性格の神経症患者が演奏しているという感じだ(^^;。聴いていて不快という訳ではないのだが、ものすごく違和感がある。でも小難しい音という訳ではなくかなりポップだ。そんな二律背反というか矛盾した音なのだが、とにかく一聴するとかなり強烈な印象を残すことは確かである。
オルガンのことばかり書いてしまったが、西田さん演奏のバイオリンもなかなかいい味を出している。中近東風のフレーバーたっぷりで、ちょっとヘナチョコなサウンドなんだけど、それがややこしいオルガンの音と絡むと絶妙なテイストが醸し出される。
で、公式HPには通販のページへのリンクも貼ってあったので、買い逃していた2ndアルバムを注文してしまいました。ちなみに2ndアルバムのタイトルは「SUMO」。そのものずばり相撲をテーマにした組曲もあるとか。一体どんな音になるのか想像もつかないが楽しみである。
2ndアルバム以降、音沙汰がなかったので、てっきり解散したと思っていたのだが、西田さんがエジプト留学していたことにより単に活動停止していただけらしい。西田さんの帰国後、1999年からは再び活動を再開しているとのことで、新作こそ出していないものの、イベントでライヴを演ったり、TV番組の音楽を担当したりされているようだ。私は見ていなかったのだが、NHK教育でやっていたプチプチアニメのシリーズの一つ、「バベルの本」というアニメで音楽を担当していたらしい。
また、ソロというか各人でもそういう仕事をされているようで、先日フジTV系で放映されていた「学校の怪談 春のもののけスペシャル」という番組、池脇千鶴と奈良沙緒里(眼鏡かけると別人!)に釣られて見たのだが、エンドクレジットのところを見ると、第1話の音楽を冷水ひとみさんが担当されていたようだ。もっとも、肝心の第1話は見逃してしまったので、どんな音楽だったか判らないのだが(^^;。

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